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復刻版

《透かし彫り扇面インテリア額》

透かし彫りインテリア扇面額の由来

復刻版
《透かし彫り扇面インテリア額》

扇子用途の変遷
日本の国では古来から扇子は、神聖なあらゆる儀式や祭典に欠かせない神具や用具として、大切にされてきました。

扇子を用いて涼をとる、という慣習が一般化したのは意外にも、明治時代初め頃。
江戸時代までは夏の暑さを払う用具としては団扇(うちわ)が主に使われていました。

煽ぐ(あおぐ)為の扇子が作られ始めて程なく京都の扇子界では、従来の紙張りの扇子に加えて高級な絹張りの扇子が作られるようになり、続いてその絹に透かし彫りを取り入れる事によって、透明感に加えて涼感も合わせ持った贅沢な高級品としての[透かし彫り京扇子]が考案されました。
【透かし彫り京扇子】の制作工程
扇面絵師と扇子彫り師との共同作業で、扇面絵師が絵柄を描いた扇面型の薄い和紙を最上部に、その下に同寸法にカットした無地色の薄絹布数枚を、同寸法にカットされた伊勢形紙二枚でそれぞれ上下から挟んで重ね合わせ、全体を一体化させる為に紙縒り(こより)で扇面型の縁周りを数十ヶ所固定した後、細密な絵柄の輪郭に沿って突き彫り用小刀にて細心の神経を払いながら絵の輪郭を彫り抜く事により、和紙絵柄の下に重ねられた伊勢形紙(上下二枚)と『透かし彫り京扇子』の制作用に使われる絹布3~5枚(柄が細密な程、枚数が少ない)に、透かし彫り柄が写し彫りされました。

彫り柄が施された扇面型絹布の裏側に、細密な柄の補強を兼ね、尚かつ透明感による涼感の演出にも効果を持たせる為、白地の薄い絹布(シルクオーガンジー)を貼り合わせた扇面本体を、扇骨(せんこつ)に貼りつける(貼りつけ専門の職人によって)仕事を始め、専門的な各技術者達の作業工程を経て、『透かし彫り京扇子』が制作されました。
透かし彫り扇面インテリア額の制作
新しい柄の考案の際、扇面型の内側に物語性を持った柄を描きながら尚且つ、柄どうしが総て彫り師の仕事ができる様につなげる必要が加わるために、柄を描くのに普通に絵を描くよりも手間を要しました。
そのようなことも有り、最終段階の彫師が描き絵に沿って彫り上げる際に彫り上がった上下型紙の上側を今後の資料として保管しました。

時代も経て先の大戦時に、贅沢品として制作が中断され戦後しばらくして制作が試みられましたが、高額な事と高度な彫り技術の継承等が困難なこともあり、細密な透かし彫り扇子の制作は途絶えたまま今日に至りました。

この度、京都市内に残る京扇子関係業者の貴重な資料として保管されていました透かし彫りが施された扇面型紙原本を基に、現在活躍中の工芸家の方々との共同制作により、《透かし彫り扇面インテリア額》として復刻制作致しました。

末廣(すゑひろ)の形が古来から未来繁栄の縁起物として大切にされてきた扇面の形。
各々が物語性を持ち、透明感も併せ持ったインテリア額は和室,洋室を問わずお使い頂けます。マンションや病院,店舗などの調度品としてのご利用等、是非共お勧めいたします。
新しい柄の考案~制作には、かなりの日数と手間が掛かる為に、同柄の追加制作に用いる為の【写し用型原版】(新たに考案された初回制作によって出来た、上部側の透かし彫りが施された扇面型の伊勢形紙) として、保存され同柄追加制作の際に活用されたようです。

時代も経て先の大戦時に、贅沢品として制作が中断され戦後しばらくして制作が試みられましたが、高額な事と高度な彫り技術の継承等が困難なこともあり、細密な透かし彫り扇子の制作は途絶えたまま今日に至りました。

この度、京都市内に残る京扇子関係業者の蔵に保存されていました、扇面型の【写し用型原版】を基に最先端のテクノロジーを駆使し、現代の国内で活躍中の工芸家達との共同制作により、《透かし彫り扇面インテリア額》として復刻制作致しました。

末廣(すゑひろ)の形が古来から未来繁栄の縁起物として大切にされてきた扇面の形。
各々が物語性を持ち、透明感も併せ持ったインテリア額は和室,洋室を問わずお使い頂けます。マンションや病院,店舗などの調度品としてのご利用等、お勧めいたします。

総ての作品がオリジナル性を持った唯一無二の作品になって居ります。
本体の形,サイズ等を個別にて制作しておりますので、別誂えのご要望があればご相談、受け賜ります。


SENMEN ART STUDIO 代表 大西廣一
日本の人々が扇子を使って涼を取る慣習は意外にも文明開化が花開く明治時代初め頃に来日した西洋の婦人達が鳥の羽などで作られた、アクセサリー兼用の用具を使って暑さをしのぐ様子を、当時の扇子関係の職人達が、認識してから始まったと思われます。

 元来、日本では古来から扇子の用途は神聖なあらゆる儀式や祭典に欠かせない用具としてとして用いられてきた扇子。 (古代?江戸時代に至る間は涼を取る用具としては主に団扇的な物が使われたと思われます) 

 幕末から明治に至る時代を契機に扇子は夏の涼を取る用途としても、明治時代初め頃から盛んに制作が始まったようです。

 煽ぐ為の扇子が作られ始めて程なく京都扇子界では従来の紙張りの京扇子に加えて高級な絹張りが加わり、その絹に透かし彫りを取り入れた高級品としての『透かし彫り京扇子』が考案されました。

 技巧的には京友禅染を染める為に使われる『友禅染型紙』製作技術の応用として扇子の本体に透かし彫りを取り入れた事で、扇子柄に透明な涼感が加わり、京扇子を代表する高級扇子として昭和時代の初め頃まで、扇子愛好家に人気を博しました。

 当時の扇子絵師と彫り師との共同作業で、絵師が絵柄を描いた扇面型の薄い和紙を上部に、同寸法の扇面型にカットした無地の薄絹布数枚を、同様にカットした伊勢形紙で上下から挟んで重ね合わせて、紙縒り(こより)で扇面型の周りを一体化さす為に数十ヶ所固定した後、細密な絵柄の輪郭を突き彫りの小刀で、常に研ぎを入れながら絵師の描いた絵柄に沿って注意深く彫り抜く事により、和紙絵柄の下に重ねられた扇面型の伊勢形紙(上下二枚)と《透かし彫り扇子》の制作用に使われる絹地3~5枚(柄が細密な程枚数が少ない)に、透かし彫り柄が写し彫りされます。
その後、扇子本来の用途として使用の際に空気が抜けない為と、細密な柄の補強を兼ね透明感によって涼しさの演出にも効果を持たせる為に、白地の薄い絹布(シルクオーガンジー)を写し彫りされた絹の扇面型裏側に張り合わせた後、扇子骨に張り付けて(張り付け専門の職人によって) 、そのあと
幾多の工程を得て[透かし彫り高級京扇子]が制作されました。

 一本の透かし彫り扇子が出来る迄の手間と時間、絵師と彫り師が柄のデザイン他を含めた段取り (柄に合わせて彫りますが、出来上がった扇面枠内の柄同士が総て繋がって、枠とも連結出来るよう絵柄に対しての両者の打合せ工程他・・) 等、一柄の透かし彫り扇子が完成する迄にかなりの手間と時間が必要とされました。
 故に新しく考案された透かし彫り扇面柄の追加製作を可能にする為の、写し用具として制作の過程で共に彫り上がった伊勢形紙上下二枚の内、上部 (下の形紙と比べて彫り味が美しい) の型紙を再度同じ柄を制作する為の大切な[写し→型原版]として保存し、同柄制作の際に利用 (無地の新しい伊勢形紙の上に柄が彫られた型原版を置き重ねて、専用の丸刷毛で墨を用いて写します) されました。   
 彫り上げるだけでもかなりの手間と時間を要する為、高額品となる扇子が戦況の悪化と共に製造販売が出来なくなり、戦後しばらく経って世の中が落ち着きを取り戻しつつある頃に、原版を基に制作が試みられた様ですが、彫り技術の低下に加えて高額な手間賃等が金額面で合わなかった事などにより、それ以降~今日に至る迄、制作される事はありませんでした。

 この度、先人が残した
透かし彫り扇子の型原版が、京都の扇子関係の家に大切に保管されていましたのを基に現代の最新技術を駆使して、当時の名人技巧によって彫られたままの彫り味を生かしながら、復刻版《透かし彫りインテリア扇面額》として再現制作をいたしました。
 夏の暑さをしのぐ用具として扇風機やエアコンが主流となる以前は日本人の誰もが長い間、団扇(うちわ)か扇子を使っていました。
中でも扇子を使って涼を取る慣習は以外にも文明開化が花開く明治時代初め頃に西洋人が鳥の羽などを利用して作られた、扇様の用具を使って暑さをしのぐ様子を見た当時の扇作りに携わっていた京都の扇制作関係の職人が、元来日本では古来から神聖な様々の儀式用として用いられてきた扇子を、あおいで夏の暑さを しのぐ用途として明治時代初め頃から、作り始めました。それまでは江戸時代も含めて暑さをしのぐ用具としては、団扇(うちわ)が主流でした。あおぐ為の扇子が使われ始めて後の明治時代の後半過ぎ頃に、従来の紙張りの京扇子に加えて絹張りに透かし彫りを取り入れた高級品として『透かし彫り扇子』が誕生しました。技巧的には京友禅染を染める為に使われる『友禅染型』の製作技術の応用として、透かし彫り扇子が考案されました。その型原版が『透かし彫り京扇子』の考案者、大西徳太郎の子孫に依って大切に現代に至る迄、保管されていました。

 当時の扇子絵師と透かし彫りの彫り師との共同作業で、絵師が絵柄を描いた扇面形の薄い和紙を上部に、同じ寸法の扇面形にカットした無地の薄絹布数枚を、同形にカットした伊勢形紙で上下から挟んだものを下に重ね合わせて、紙縒り(こより)で扇面形の周りを一体化さす為に数ヶ所固定した後、複雑な絵柄の輪郭を突き彫りの小刀で、こまめに研ぎを入れながら絵柄に沿って彫り抜く(丸三日間前後かけて)事により、和紙絵柄の下に重ねられた扇面形の伊勢形紙(上下二枚)と《透かし彫り扇子》の制作用に使われる絹地3~5枚(柄が細密な程枚数が少ない)に、透かし彫り柄が写し彫りされます。
扇子本来の用途として、あおいだ際に空気が抜けない為と、細密な柄の補強を兼ね透明感によって涼しさの演出にも効果がある、白地の薄い絹布(シルクオーガンジー)を写し彫りされた絹の扇面型の裏側に張り合わせた後、扇子骨に張り付けて(張り付け専門の職人によって)工芸的な透かし彫りの高級京扇子が制作されていました。
一本の透かし彫り扇子が出来る迄の手間と時間、絵師と彫り師が柄のデザインとか段取り(柄に合わせて彫りますが、出来上がった扇面枠内の柄同士が総て繋がって、枠とも連結出来るよう絵柄に対しての両者の打合せ工程・・)等、透かし彫り扇子が完成する迄にかなりの手間と時間が必要とされました。
その為、新しく考案された透かし彫り扇面柄の追加製作を可能にする為の用具として、共に彫り上がった伊勢形紙上下二枚の内、上部(下の形紙と比べて彫り味が美しい)の型紙を、再度同じ柄を制作する為の大切な[写し→型原版]として保存~活用(無地の新しい伊勢形紙の上に柄が彫られた型原版を置き重ねて、専用の丸刷毛で墨を用いて写します)されました。しかしながら昭和初期を過ぎる頃には、彫り上げるだけでもかなりの手間と時間を要する故、高額品となる扇子が戦況の悪化と共に製造販売が出来なくなり、戦後しばらく経って世の中が落ち着きを取り戻しつつある頃に、原版を基に制作が試みられた様ですが、高額な手間賃等が金額面で合わなかった事などによりそれ以降~今日に至る迄、制作される事はありませんでした。

 この度、先人が遺した伊勢形紙に透かし彫り表現された、細密で各々が物語性(今となっては100年以上前に考案された柄ですが、現代でも充分通じる感性溢れたデザインも幾多あります)を持ち、透明感を合わせ持った貴重な透かし彫り扇子の型原版が、京都の扇子関係の家に大切に保管されていましたのを基に、現代の最新テクノロジーを活用して当時の名人技巧によって彫られた透かし彫りを再現致しました。

洋室・和室を問わずご利用頂け、末廣形の縁起も備えた曾て誰も見たことがない、復刻版《透かし彫り扇面インテリア額》として再現制作いたしました。

SENMEN ART STUDIO

会社名 透かし彫り
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